杏仁豆腐は夢を見る

たまに長い文章を書きたくなった時に使います。

決意表明を見た感想

(羽生さんの決意表明を見て好きが溢れて止まらなかったので勢いで書いた思いの丈)







平昌の後からの4年間は、ずっと人生のボーナスタイムだと思っていた。引退すると思っていた羽生さんが、競技を続けてくれたから。
だから1年ごとに、覚悟を固めてきた。彼がいつどう決断しても、私はそれをちゃんと受け止められるファンで居ようと思っていた。

羽生結弦が引退する時はどれほど辛く寂しかろうと、幸せな時の終わりを待つような気持ちでいたけれど、蓋を開けてみれば羽生さんの会見は希望と期待に満ちていて、私はまた、生きる力をもらってしまった。
やはり、羽生さんはすごい。私の予想なんか飛び越えて、いつも新しい景色を見せてくれる。
そういうところに、いつも驚かされてきた。

私は心根の弱いファンなので、絶対羽生さんが勝つ!とか、金メダルとる!とか、そんな風に信じて応援できたことって、あまり無い。
実際、羽生さんは細かく見ていけば、結果としては負けてることも普通にあった。
でも、怖々と応援する中で、彼は私に、想像もつかないような景色を、いくつも見せてくれた。
五輪を2連覇して、世界新記録を打ち立てて、怪我でとても無理だと思った大会に勝って、4Aを跳んだ。
羽生結弦なら当たり前、とは思えなかった。私はいつも、信じられないものを見るような気持ちで、羽生さんを見つめ続けて来たように思う。

私は勝ってる羽生さんも負けてる羽生さんも好きだったけど、競技に興味がなかった訳じゃない。
なんせ、ニースのロミジュリを見て好きになってしまったんだもの。やってやるんだーーーーという、あのがむしゃらな輝きは、フィギュアスケートが競技だからこそ、見られたものだと思っている。
競技というフィールドでの羽生さんは、輝いていた。それはもう、美しかった。往来の負けず嫌いも相まって、戦う、競う、ということがとても似合う人だった。
羽生さんを見ていると、いつもフィギュアスケートが上手い、というのはどういう事だろうと、考えさせられた。フィギュアスケートはルールも複雑で、傍目には違いのわからないことが多くて、ちょっとやそっとじゃ理解できない競技だった。
でも、羽生さんの目指すところは、この1点を緻密に積み上げていく中にあるのだろうと思うと、プロトコルを見たりするのも楽しかった。
羽生さんは私に、フィギュアスケートというスポーツの面白さを教えてくれた。
私はスポーツに毛ほども興味のない人間だったけど、羽生さんを通して、アスリートというものを知ったし、他競技のアスリートという人たちの見方さえ変わったように思う。

同時に、羽生さんは競技の外でも、立派な人だった。どこに出ても人への気配りと感謝を忘れないところ、自分の影響力の強さを自覚しているところ、会見の受け答えの見事さ。
出会った頃はきゅーとな男の子だったけど、いつの間にか、なんだかとても立派な青年に成長していて、私もいつしか、尊敬の念を抱くようになった。

東日本大震災に関しては、被災地を背負って立ってるような、そんな気すらした。
私は、ずっと羽生さんは背負わなくていいものまで自ら背負ったんだなって思ってる。あの頃、被災者と、アスリートである自分と、切り離してくれと言うこともできたと思う。出来なかったのではなくて、やらないことを選んだんだと思う。
金メダルをとりながら、なにもできないって言ってたのを思い出す度に、涙が出る。

フィギュアスケート界を背負ってるというのも、度々感じていた。
チケット戦争が巻き起こる度に、このスポーツの人気を引き上げてるのは間違いなく羽生さんなんだなと思ったし、出待ちの異様な光景や、どこまでもマスコミに囲まれる姿に、どうしようもなく特別なところに居るのだと、気の毒にすら感じた。
他の選手たちの分まで、彼が引き受けていたプレッシャーが、数多くあったんじゃないだろうか。
北京オリンピックに向かう時、自分がどれだけ応援されてるか、どれだけ期待されてるか、きちんとわかってる彼が、金メダルって口にしたのは、自分のためだけじゃなかったんだろうなと、今も思ってる。

オリンピックは証だと、今日の会見で、羽生さんは言った。
北京に出るかどうかって頃に、印象に残った誰かのつぶやきがある。
彼はもう、何かを証明する必要は無いんだ、というもの。
あぁ、その通りだなと思った。強さも、努力も、誠実さも、フィギュアスケートにかける思いも、もう全部全部彼は証明してきた。誰に認めてもらう必要も無いくらい。

だから、次のステージに行くのだということは、とても素直に、自然に受け入れられた。

今日の羽生さんは、本当に明るく、すっきりとした表情をしていた。自分のやりたいことが、やるべきことがわかっているのだと思った。
きっとそれを応援してくれる人、実現に力を貸してくれる人は、たくさんいると思う。
行きたい方向へ、行くためのすべてを、彼は自分自身の力で掴み取ってきたのだと思った。

私は、羽生さんにもっと楽になって欲しいと思っていたんだと思う。色んなことから解放されて、のんびり生きてもいいのではないかと。引退したら、それが叶うのではないかと、勝手に思っていた。
同時に、それは今まで追いかけてきた羽生結弦とのお別れでもあって、私の持つべき覚悟というのは、それを受け入れることなんだと思っていた。

でも、羽生さんは挑戦をやめないと言った。会見の言葉を全部聞いて、羽生結弦は、引退しても羽生結弦なんだとわかった。
ここまでとこれからは、地続きなんだと。私はそれが衝撃的で、嬉しくて、胸がいっぱいで、泣けてしまった。
フィギュアスケートは、生きること。羽生結弦にとって生きるってことは、常に前進し続けていくことなんだなと思う。
昨日より今日、今日より明日。
より良く、より高く。いつだって、胸を張れる自分でいるために。
彼はそれを当たり前のようにいうけど、ちっとも当たり前じゃない。
普通、大抵の人間は、そんなふうに走り続けようとは、思わないんだよ。
でも、羽生結弦にとっては、それが生きていくということで、その生き様を、これからも見せてくれるんだ、応援していいんだなって、それが、本当に嬉しかった。
だってそれは、引退したら終わってしまう、幸せな日々だと思ってたんだよ、私は。

私はこれからもアスリートである羽生結弦を応援していけるみたいだ。
私にできることなんて何も無いんだけど、なにか大きな存在に、彼の健康と幸せを祈らずにはいられない。
そして、彼自身が言ったように、本当に心を大切にしてほしいなぁと思う。

羽生さんの行く道に、まぶしいくらいの光が差していますように。
これから見せてくれる景色が、いまはただ、楽しみで仕方がない。